
ラツィオの新加入選手としてフォルメッロの会見場に座ったダヴィデ・フラッテージは、ボローニャ戦とジェノア戦で決めた「勝ち点6分」の2発について、ほとんど語らなかった。代わりに彼が話したのは、インテルでの最後の1年に自分の中で何が壊れていたかということだった。ヘルニアの手術、内転筋の肉離れ、そして祖母の死。16歳で家を出た男が、ミラノでどこまで削られていたのか。
2026年9月3日、ラツィオの練習場フォルメッロで、ダヴィデ・フラッテージ(Davide Frattesi)が新加入選手としての記者会見に臨んだ。すでにボローニャ戦とジェノア戦で決勝点を挙げ、移籍直後から結果を出している選手である。本来なら自己紹介など不要な場だった。ところが会見の中心にあったのは、新天地への抱負ではなく、インテル・ミラノで過ごした最後の1年の内実だった。
フラッテージが挙げた要因は、大きく2つに分けられる。ひとつはフィジカル。前シーズンはヘルニアの手術明けからスタートし、復帰を急いだ結果として内転筋を痛めた。まともに練習を積めるようになったのは11月から12月にかけて。中盤の競争が激しいクラブで、シーズン中盤からのスタートは致命的に遅い、というのが本人の総括である。
もうひとつは精神面だ。フラッテージは「頭の面でもよくなかった」と明言し、その背景に祖母の死と、家族から遠く離れた生活への疲れがあったことを認めた。16歳で家を出て以来、失ってきたものを取り戻したい。ローマに戻るという選択は、キャリアの計算ではなく、そこから出てきたものだったと語っている。
原文: "L'ultimo anno sono stato male anche di testa. Me lo diceva la mia ragazza, i soldi non sono fondamentali, le cose importanti sono altre. Da quando è morta nonna sentivo il bisogno di tornare a casa."
訳: 「最後の1年は、頭の面でもよくなかった。恋人にも言われていた。金が本質じゃない、大事なものは他にある、と。祖母が亡くなってから、家に帰る必要をずっと感じていた」
原文: "L'anno scorso venivo da un'operazione per ernia, la testa andava e le gambe no. Per rientrare prima mi sono stirato sull'adduttore, ho iniziato ad allenarmi bene a novembre e dicembre. Lì è tardi vista la concorrenza serrata."
訳: 「昨シーズンはヘルニアの手術明けだった。頭は動くのに、脚がついてこない。早く戻ろうとして内転筋を痛めた。まともに練習を積めるようになったのは11月と12月。あの激しい競争を考えれば、あそこからでは遅い」
フラッテージのインテル最終年をめぐる議論は、長らく「起用法」の話として消費されてきた。途中出場が多い、先発が回ってこない、監督との相性が合わない——そうした語られ方が主流だった。今回の会見が価値を持つのは、本人がその枠組みを内側から書き換えた点にある。彼が語ったのは戦術上の不遇ではなく、手術明けの体と、追いつかない脚と、家族を失った心だった。
ここには、外から数字を眺めるだけでは絶対に届かない領域がある。出場時間や得点数は、選手が「どの状態でシーズンに入ったか」をまったく記録しない。11月にようやく体が整った選手と、7月のプレシーズンから走り込めた選手を、同じ物差しで比べることはできない。フラッテージの言葉は、そのことを本人の口から確認させるものだったと言える。
一方で、フラッテージは自分の不振をすべて不運のせいにはしていない。「中盤には元々強い選手がいる。対等な条件では簡単ではない」という一節は、インテルの中盤の層の厚さを彼自身が正当に評価したものと受け取れる。ハカン・チャルハノール、ニコロ・バレッラという固定軸があり、そこにピオトル・ジエリンスキ、アンディ・ディウフといった駒が加わる構造は、シーズン途中から入っていく選手にとって参入コストが極めて高い。
言い換えれば、フラッテージが必要としていたのは「チャンス」ではなく「助走距離」だったのかもしれない。万全の状態で7月からシーズンに入れていたら結果は違っていた、という仮定は検証しようがないが、少なくとも本人はそう考えている節がある。ラツィオでの立ち上がり2ゴールは、その仮定を静かに補強する材料になりつつあると考えられる。
会見の中でもっとも短く、もっとも重かったのは「ミラノでは、サポーターとの間にも何か美しいものを残せたと感じている」という一文だった。ここでフラッテージは、クラブでも監督でもフロントでもなく、スタンドを名指ししている。
インテル時代のフラッテージを象徴する場面といえば、逆転ゴールのあとにゴール裏のフェンス——あの黄色いゲート——によじ登り、サポーターと直接抱き合った瞬間だろう(※この場面は今回の元記事には出てこない、過去の記憶に属する情景である)。彼にとってミラノの記憶は、契約でも起用法でもなく、あの距離感の中にあったのではないか。会見の最後の一行は、そう読める。ネラッズーリのサポーターがフラッテージを「途中出場のジョーカー」としてではなく「ゴール裏まで走ってきた男」として覚えているのだとすれば、その記憶は双方向だったということになる。
去っていった選手が、去った先で本当のことを言い始める。フラッテージの言葉に恨み節はひとつもなく、あるのは自分の体と心への正直な報告だけだった。ミラノでの1年は失敗ではなく、間に合わなかっただけなのかもしれない。ローマで彼が取り戻そうとしているものが何なのか、その答えは、これからのラツィオでのプレーが語ってくれるだろう。
スポーツ×ITの会社でバックエンドエンジニア兼マネージャーとして勤務。インテル関連の情報を中心に発信しています。
最終更新: 2026年9月4日
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