
勝ったチームの監督が、勝った翌週に不機嫌でいる。レアル・マドリードがインテルを2-1で下してから3日、ジョゼ・モウリーニョはラージョ・バジェカーノ戦の前日会見で、自軍への論評にまとめて反論した。守備が崩れていた、4失点してもおかしくなかった——そうした指摘に対して彼が返したのは、逆向きの数字だった。8点。勝者が数える「取れたはずのゴール」というのは、たいてい何かの裏返しである。
9月8日のサンティアゴ・ベルナベウで行われたUEFAチャンピオンズリーグ第1節、レアル・マドリードはインテルを2-1で退けた。試合直後にモウリーニョはこれを「狂った試合(pazza partita)」と表現し、スコアが違っていた可能性を認めつつも勝利は妥当だったと主張していた。その姿勢は3日後の会見でも変わらなかった。
9月11日、リーガ・エスパニョーラのラージョ・バジェカーノ戦を控えた記者会見で、モウリーニョはスペイン国内の論調に向けて不満を口にした。彼の論理はこうだ——サッカーを深く知る人間なら自分と同じものを見たはずなのに、それを口にしない。彼らが語るのは「守備がよくなかった」「3、4点取られていてもおかしくなかった」という側面だけで、「8点取れたかもしれない」とは誰も言わない。勝ったことがそんなに不満なのか、と。
会見の終盤、記者から「マドリードの勝利を喜んでいない人間がいると言ったが、チームへの扱いは厳しすぎるのか」と問われると、モウリーニョは広報担当を指さして笑いながら答えをはぐらかした。ここに来ると聖書を渡される、という冗談を挟んだうえで、このチームの精神状態は何によっても変わらないと締めている。発言はスペイン紙『AS』が伝え、FCInterNewsが日本時間9月11日夜に転載した。
原文: "Certo, avrebbero potuto segnarci quattro gol – sì, sì – ma noi avremmo potuto segnarne otto. Eppure, c'è gente che capisce di calcio quanto me e non lo dice. Perché non lo dicono? Non sono contenti che abbiamo vinto?"
訳: 「確かに、彼らは我々から4点取れたかもしれない。ああ、そうだ。だが我々は8点取れたかもしれない。それなのに、私と同じくらいサッカーを理解している人間が、それを言わない。なぜ言わないのか。我々が勝ったことが不満なのか」
原文: "Ci sono gare di Champions League in cui le squadre si temono, non corrono rischi e i tifosi tornano a casa con l'amaro in bocca."
訳: 「チャンピオンズリーグには、両チームが互いを恐れ、リスクを取らず、サポーターが後味の悪さを抱えて帰るような試合がある」
この発言でモウリーニョが使った修辞は、彼のキャリアを通じて繰り返されてきたものだ。相手の指摘を否定するのではなく、同じ天秤の反対側に自分の数字を載せる。4失点の可能性を認めたうえで、8得点の可能性を並べる。結果として、試合が「守備の崩壊」ではなく「双方が殴り合ったオープンな90分」として再定義される。
ただしインテルの側から読み直すと、この言い回しは意図せず一つの事実を認めている。レアル・マドリードは自陣で4回失点してもおかしくない状況を作られていた、ということだ。ホームで、しかもベルナベウで、チャンピオンズリーグ初戦を戦った側の監督が自ら口にした数字である。勝者の余裕から出た言葉であっても、インテルが作った決定機の量が言い訳の材料になる程度には存在したことの、間接的な証言になっていると考えられる。
一方で、この論法をクリスティアン・キブが同じように使うことはできない。負けたチームの監督が「8点取れたかもしれない」と言えば、それは敗因の分析ではなく単なる慰めになる。試合翌日以降、イタリア国内ではヤン・ビセックのミスやジョゼップ・マルティネスの失点をめぐる論評が続き、パオロ・コンドやリッカルド・トレヴィザーニといった論者が「内容は互角以上、結果は事故」という評価軸を提示してきた。内容と結果を切り離すというアプローチ自体は、モウリーニョの主張と実は同じ方向を向いている。
違うのは立場だけだ。勝った側は「もっと取れた」と言い、負けた側は「事故だった」と言う。どちらも同じ90分についての説明であり、どちらも半分ずつ正しい可能性がある。インテルにとって重要なのは、この評価が10月以降のリーグフェーズで検証可能な形に変わるかどうかである。ベルナベウでの内容が本物なら、次の数試合で勝ち点として回収されるはずだ。
試合前、モウリーニョとキブのあいだには論争の応酬があった。挑発があり、マロッタが割って入り、イタリアとスペインの紙面が煽った。しかし試合が終わってからのモウリーニョの発言には、インテルに向けた刃がほとんど含まれていない。彼が戦っているのはすでに別の相手——自分を評価しないマドリードの世論である。
これはインテルにとって悪い展開ではない。因縁がひとまず消費され、残ったのは「ベルナベウで互角に戦った」という事実だけになる。アレッサンドロ・デル・ピエロがイタリア勢のなかでインテルだけがチャンピオンズリーグを勝つために作られていると評したように、外部の視線はすでに次の段階へ移っている。必要なのは論争ではなく積み上げだ。9月14日のウディネーゼ戦から始まる連戦で、マドリードの90分が偶然だったのかどうかが少しずつ判明していく。
8点という数字は、モウリーニョが自分のチームを守るために出した盾だった。だがその盾には、インテルが4点取れた側だったという事実も一緒に刻まれている。負けた側が拾うべきものがあるとすれば、たぶんそこだろう。次にこの言葉を検証するのは、記者会見ではなくピッチだ。
スポーツ×ITの会社でバックエンドエンジニア兼マネージャーとして勤務。インテル関連の情報を中心に発信しています。
最終更新: 2026年9月12日
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