
タバコ屋の息子は、父から差し出された110万リラを断った。サッカー以外の人生を選ばなかったその二年後、彼はフィレンツェにいた。それから二十数年が経ち、いまはインテルのレジェンドとしてクラブの一部になっている男が、ガゼッタ・デッロ・スポルトの長いインタビューで語ったのは、断り続けてきた人生の話だった。父の申し出も、バルセロナも、リヴァプールも、バイエルンも。
フランチェスコ・トルド(Francesco Toldo)が8月25日、ガゼッタ・デッロ・スポルトに長編インタビューを寄せた。現在はインテル・ミラノのレジェンドとして活動する元ネラッズーロのGKは、キャリアの入り口から話を始めている。
慎ましい家庭に育ち、父はタバコ屋を営んでいた。トレントにいた頃、その父からすべてを捨てて一緒に働かないかと110万リラを提示されたが、彼は断った。サッカーでやり遂げたかったからだ。二年後、彼はフィオレンティーナにいた。
もうひとつの「断った話」は、インテルでの日々に属する。ジュリオ・セーザル(Julio Cesar)が加入し、当時の監督ロベルト・マンチーニ(Roberto Mancini)が彼をベンチに座らせたとき、トルドは当時のスポーツディレクターだったマルコ・ブランカ(Marco Branca)のもとへ行き、あなたたちは世界最高のGKを外している、と言った。傲慢ではなく本気でそう信じていた、と本人は振り返る。その頃リヴァプールとバイエルン・ミュンヘンが彼を欲しがっていた。それでも彼はインテルで勝ちたかった。数年前にはバルセロナからも声がかかっていたが、そのときも断っている。
そして最も愛おしい記憶として彼が挙げたのが、ジャンルイジ・ブッフォン(Gianluigi Buffon)から奪った二つのゴールだった。
原文: "Anche quando arrivò Julio Cesar e Mancini mi mise in panchina, io andai da Branca e glielo dissi: 'state facendo fuori il migliore portiere del mondo'. Non era spocchia, ci credevo sul serio. Mi volevano il Liverpool e il Bayern, io però volevo vincere con l'Inter."
訳: 「ジュリオ・セーザルが来てマンチーニが私をベンチに置いたときも、私はブランカのところへ行ってこう言った。『あなたたちは世界最高のGKを外そうとしている』と。傲慢だったわけじゃない。本気でそう信じていたんだ。リヴァプールとバイエルンが私を欲しがっていた。それでも私はインテルで勝ちたかった」
原文: "Fare gol a Buffon a San Siro contro la Juventus è stato epico. Il bello è che lo avevo pure detto a Cuper. 'Mister se siamo sotto vado in area e faccio gol'. Esultò Vieri, ma il gol era mio al 100%."
訳: 「サン・シーロでユヴェントス相手に、ブッフォンからゴールを奪ったのは叙事詩的だった。面白いのは、私がそれをクーペルに予告していたことだ。『監督、もしビハインドならペナルティエリアに上がってゴールを決めます』とね。喜んだのはヴィエリだったが、あのゴールは100パーセント私のものだ」
現代のサッカーで、控えに回された選手がスポーツディレクターの部屋に乗り込んで同じ台詞を口にしたら、翌日には切り抜き動画がSNSを埋め尽くすだろう。だがトルドの語り口には、そうした演出の匂いがまったくない。「傲慢ではなく、本気でそう信じていた」という一文が、その自己評価が仕事の一部だったことを示している。
GKというポジションは、自分を疑った瞬間に手が縮む。だから最高の守護神は例外なく、根拠のある傲慢さを持っている。興味深いのは、その自負を持ったまま彼が移籍を選ばなかったことだ。リヴァプールもバイエルンも、彼を正GKとして迎えるつもりだったはずである。それでも彼はミラノに残った。理由として本人が挙げているのは「インテルで勝ちたかった」という一点だけだ。
このインタビューで最も味わい深いのは、おそらく次の一文である。「二番手として得た勝利こそ、いちばん楽しめたものだった」。そしてトリプレーテのシーズン中に、彼は自分に言い聞かせたのだという。もし優勝したら引退する、と。実際にその通りになった。
キャリアの終盤を控えとして過ごすことを、多くの選手は屈辱として語る。トルドはそれを喜びとして語った。この違いは、彼が自分の価値をピッチ上の分数で測っていなかったことを意味すると考えられる。2010年のあのチームがどんな空気で回っていたのかを想像するうえで、この一言は戦術ボード以上の情報を含んでいる。
インタビューの最後に置かれているのは、たった一行の暗い記憶だ。「5月5日、間違いなく。あれは刻み込まれた日で、いまも痛む」。トルドはそれ以上の説明を加えていない。インテリスタにとって、それ以上の説明が要らないからである。
(補足:イタリアで「il 5 maggio」と言えば、2002年5月5日のセリエA最終節を指すのが一般的である。ただし元記事でトルドが口にしているのは日付のみで、試合の詳細には触れていない。)
栄光と痛みを同じインタビューで並べて話せるようになるまで、彼は二十年以上を要した。ブッフォンから二度ゴールを奪った話を子どものように笑いながら語る男が、この一行だけ短く答えている。その落差が、あの日がどれほど深く残っているかを何より雄弁に伝えている。
断り続けた人生の先に、彼はトリプレーテを手に入れた。父の申し出も、バルセロナも、リヴァプールも、バイエルンも断って、優勝したら辞めると決めた通りに辞めた男。その選択が正しかったかどうかを、いま問う必要はもうないだろう。
スポーツ×ITの会社でバックエンドエンジニア兼マネージャーとして勤務。インテル関連の情報を中心に発信しています。
最終更新: 2026年8月25日
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